学校の当たり前『通知表』を廃止して喜ぶのは短絡的すぎませんか【西岡正樹】
教育改革に振り回される「先生と子どもたち」の実情
■教師たちが疲労困憊している原因をしっかり直視せよ
最後にもう一つ言わせていただくが、「家庭への知らせ」をなくしたいという「拘り」は結構である。しかし、「教師は常に子どもたちを評価し、自分の学びを振り返らせ、次へのモチベーションを高めなければならない」ということを保持してのことである。その役割が「家庭への知らせ」の中にあることを忘れてはならないと思う。
今まで機能していたことを停止させるというのは、その機能を何かに委ねなければならいのだが、ひょっとして、家庭への知らせの持っている機能も含めすべてをなくすというのであれば、それを教師の怠慢と言わずして何と言おう。
もしこの香川小学校の改革が、教育の根本をおざなりにし、疲弊した教師たちのため「だけ」のものなら本末転倒である。
教師の疲弊の大きな原因は、子どもと関わる仕事以外の様々な実態調査や報告書、そしてあまりに現場感のない研修と報告。そして、子どもや保護者との関係性の喪失によるトラブルの処理にとられる膨大な時間なのだ。
今必要なのは、現場感のない目先の改革ではない。教師が一番望んでいるのは、当たり前を取り戻し、子どもたちとしっかりと向き合い、学び合える関係性だということを強調しておきたい。つまり、教育の根本を大切にするということだ。
また、今の窮状(疲弊した教師や現場を無視した改革)を抜け出すためには、人員の増加(教師が増やせないのであれば、事務職やカウンセラーの増員により教師の負担を減らすこと)や無駄な調査研究をやめることなど、打つべき手はあるだろう。できることからやっていかなければそう遠くない先に、日本の教育はゆるやかに瓦解していくにちがいない。
文:西岡正樹